信頼の循環に気づく:第1話

信頼の循環に気づく:第1話

見えない壁

「何度言ったらわかるんだよ…」

思わず声に出してしまう。イライラした気持ちが、指先に伝わりキーボードを叩く音が強くなる。

「今一度ご確認いただけますと幸いです。」

またこの定型文。何度送ったかわからない。相手も読み飽きただろうし、こちらも書き飽きた。

このプロジェクトが始まったのは先月のことだった。

担当者さんから話を持ちかけられたとき、「自分なら問題なく進められる」と確信していた。少し規模が大きい案件ではあるが、これまでの経験があるから大丈夫だと思っていたのだ。

しかし、期待はすぐに裏切られた。担当者さんから送られてくる指示はどれも要領を得ていない。

「これじゃ、どう解釈していいかわからないだろ…。」

そうつぶやきながら、モニターに映るメールを睨む。どう考えても、クライアントの要望をそのまま転送してきただけのようにしか見えない。文面はまるで暗号だ。

さらに問題が重なる。

「これ、修正をお願いします」と依頼されて対応すると、次には「やっぱり元の状態がいいと言われました」と戻される。こうした振り出しに戻る作業が続き、時間だけがどんどん消えていく。

それだけではない。エンドクライアントからの理不尽な要望が頻繁に送られてくる。急な仕様変更や、無理なスケジュールでの納品依頼。「これを最優先でお願いします!」と言われ、担当者さんを通じてこちらに投げられるたび、胸に苛立ちが募る。

「担当者さんも大変なんだろうな」と思う瞬間もあるが、それでも振り回されているこちらのチームには限界がある。

キーボードを叩く手を止め、目を閉じた。

焦りが胸の中に広がる。このままでは納期が間に合わないだけでなく、作業チームのモチベーションも下がってしまうだろう。数日前からスタッフの不満の声も増えてきていた。

「こっちもスケジュールがきついのに、いちいちやり直しをさせられるのは困りますよ」

そんな言葉が頭をよぎる。自分でもわかっている。この状況では、誰だって不満を持つだろう。

「卯年なんですよ!」

担当者さんが軽く笑いながら干支の話をしたのは、ほんの1か月前のことだった。

「ああ、自分とは一回りも違うのか」と、その時は少し微笑ましい気持ちになりながら、「自分の経験でしっかりフォローして、このプロジェクトを成功させよう」と前向きに考えていた。

その頃はまだ担当者さんが天使に見えていた。あの辛い時に仕事を運んできてくれた救世主だったからだ。でも今では、その天使が悪魔に見えて仕方がない。

「こっちの作業者が振り回されるのは困るんだよ!」

心の中でそう叫びたくなるが、口には出せない。担当者さんはまだ若く、経験が浅いのだろう。それでも、この状況ではフォローだけでは追いつかない。納期が目前に迫る中、何度もやり取りを繰り返すことに限界を感じ始めていた。

デスクの上の資料をまとめながら、ふと思った。

「相手に求めすぎているのかもしれない。でも、求めないと、この案件は進まない。」

そんな矛盾した思いが胸を締め付ける。

「自分のほうが経験があるから、当然正しいはずだ。」

そう思っている自分がいる一方で、「相手がわからないのは仕方ない」と諦める気持ちもある。

仕事を通して多くの成功を収めてきた過去の経験が、逆にプレッシャーとしてのしかかる。自分ならもっと上手に対応できるはずだと、そう思い込んでいるのかもしれない。

深く息をつきながら、椅子から立ち上がる。キッチンでコーヒーを淹れ、リビングの窓から外を眺めた。夜空に浮かぶ月が静かに光っている。

その月を見つめながら、ふと不思議な感覚を覚えた。

「何かに見られているような感じがする…。」

そのまま月を眺めながら少し落ち着きを取り戻した主人公は、スマホを手に取った。

画面には彼女からのメッセージが届いている。

「仕事頑張ってる?無理しないでね!」

短い言葉だったが、それだけで胸の中に少し温かいものが広がった。

「最近、愚痴ばかり聞いてもらってるな…。」

そう思いつつも、彼女の優しさに甘えてしまう自分がいる。

メッセージアプリを開き、通話ボタンを押した。

画面越しの着信音が静かな部屋に響いていた。

第2話「自分への問いかけ」へつづく