感謝と信頼がもたらす現実の変化: 第5話

感謝と信頼がもたらす現実の変化: 第5話

感謝が巡ると、現実が動き出す

汗をかいたアイスコーヒー、氷がカランと音を立て、グラスが空になったことを知らせる。

空調が効いているのに、なぜか喉が渇くのが早い。少し落ち着こうと思い、コーナーテーブルに置かれた水差しを手に取った。ゆっくりとグラスに水を注ぐ。しかし、手元が少し狂い、水差しの中の氷が飛び出し、水がグラスからあふれた。テーブルの上に広がる水。

「あっ……」

慌てて何か拭くものを探す。

「何してるの、もう……」

ふと顔を上げると、母が苦笑いしながら、近くにあったダスターで水を拭き取ってくれていた。

「ごめん、ありがとう。」

素直に口をついた言葉。母は何も言わず、黙々と拭き続ける。そんな何気ないやりとりを見ながら、ふとあることを思い出した。

——以前の自分は、こんな風に素直に「ありがとう」と言えていただろうか。

お金さんと出会う前の自分は、感謝を口にすることがどこか照れくさかった。むしろ、感謝することよりも、「どうしてこうなったんだろう」と不満を抱くことのほうが多かった気がする。

「心のコップの底に穴が空いているからだよ。」

お金さんがそう言ったのは、まさにそんな自分を見抜いたかのようなタイミングだった。

心のコップ——それは、自分の内側にある満たされる器のこと。

「コップの底に穴が空いているとね、どれだけ感謝を注いでも、すぐに漏れちゃうんだよ。」

最初は、その言葉がいまいちピンとこなかった。でも、お金さんとの対話を重ねるうちに、その意味が少しずつ腑に落ちていった。

「何かが欲しい」「満たされたい」

そう思って頑張ってきたのに、なぜか満足感が長続きしない。目標を達成しても、手に入れても、また次の「何か」を求めてしまう。終わりのないループ。

さらに、お金さんはこう説明してくれた。

「まずはコップの穴を塞ぐこと。そして、自分のコップにちゃんと水を注いでいくことが大事なんだよ。」

その方法は、意外なほどシンプルだった。

毎日、目の前にあるものに感謝をすること。

それまで気にも留めていなかった当たり前のこと——朝の温かいコーヒー、青空、家族との食事、ふと聞こえてくる笑い声——そういうものを意識して受け取るようにした。

すると、不思議なことに「もっと何かが欲しい」という気持ちが少しずつ薄れていった。

それは決して、何かを諦めるということではなく、「今ここにあるものが、すでに自分を満たしてくれている」という感覚だった。

そうなってくると、お金の流れも変わり始めた。

余計なものを欲しがらなくなったことで、支出は自然と減り、口座にお金が残るようになった。それだけではない。人間関係も穏やかに変化していった。

周りの人の態度が変わる。

家族、彼女、仕事の取引先——なぜか以前よりもトラブルが減り、関わる人たちが優しくなっていった。

まるで、感謝のエネルギーが巡り、目の前の現実を変えていったかのようだった。

そして、ある時ふと思った。

「今までの自分は、与えることを意識していたつもりだったけれど、それは本当に純粋な ‘与える’ だったのか?」

お金さんは言った。

「コップの水が足りない状態で ‘与える’ 行為をすると、それは無意識のうちに ‘もらうために’ 何かをしてしまうことになるんだよ。」

言われてみれば、思い当たることがあった。

相手のためと思ってやっていたことが、実は自分の「認めてもらいたい」という気持ちからだったり、「見返りを期待していた」部分があったり——。

お金さんのアドバイスは、こう続いた。

「まずはね、自分のコップの水をあふれさせること。それが自然と周りに流れ出していくんだよ。」

目からウロコだった。

それまでの自分は「人に与えることが大事」と思っていた。でも、そのために自分を犠牲にしたり、頑張りすぎてしまうことがあった。

順番が違っていた。

まずは、自分が満たされること。

そこから溢れたものを、自然と周りに分け与える。

それが、本当の「与える」ということ。

お金さんは、さらに驚くようなことを言った。

「器は、大きくするものじゃないんだよ。むしろ最初は ‘小さくする’ ことが大事なの。」

「……どういうこと?」

「大きなコップは、たくさんの水を入れないと溢れないよね? でも、小さなコップなら、すぐに溢れる。」

確かに。

「だからね、最初は ‘小さな器で満たす’ ことから始めるのが大事なんだよ。その水があふれ出したら、自然と器は大きくなっていくものだから。」

それを聞いて、腑に落ちた。

今まで「もっと大きな器にならなきゃ」と思っていたけれど、順番が違っていた。

まずは小さな器を満たすこと。

そうして溢れるようになったら、自然と器も大きくなっていく。

今の自分は、どれくらい満たされているのだろうか?

ふと、深呼吸をしてみる。

そういえば、さっきから気持ちが穏やかだ。

そっと、拭かれたテーブルを見つめる。

静かに広がった水の跡は、いつの間にか消えていた。

その様子を眺めながら、胸の奥に小さな波紋が広がるのを感じる。

「ありがとう」

言葉にしなくても、その気持ちが自然と湧き上がる。

——ああ、変わってきたんだな。

昔の自分なら、こういう時にどこかモヤモヤした感情が残っていたかもしれない。

誰かにしてもらうことを当たり前に思ったり、逆に申し訳なく思ったり。

でも今は違う。ただ素直に、温かい気持ちが広がるのを感じる。

何かを手に入れようと必死に求めるのではなく、今ここにあるものを受け取ること。

それができるようになった時、いつの間にか、心のコップの水は静かに溢れ始めていたのかもしれない。

その変化を、じんわりと実感している。

そして——

今日という、大きな節目の日に。

最終話「導かれる未来への一歩」へつづく